生活の中で、「半分」という言葉はよく使います。
3年生の算数の学習です。分数の概念を初めて学習しています。そこで、生活の中で、「1/2」=「ピッタリ半分」にできるものを見つけ、ことあるごとに子どもに意識させると、ぐんと分数の見方が育ちます。
たとえば、ピザは「ピッタリ半分」にできるけど、いちごのショートケーキは「ピッタリ半分」にしにくいですね。牛乳やジュースなどの液体は、「ピッタリ半分」にしやすいです。分数に親しむ体験は、生活の中に、いくらでもありますね。
5年生の算数(プログラミング)の授業です。
子どもたちは、パソコンで正三角形を書くためのプログラムを作成しています。
う~む。私は、まったく、子どもたちにかないません。
これは、冬休みの私の宿題です。
毎日、子どもはたくさんの文字を書いて学習をしています。
鉛筆は、「削ってある」ことで学習に集中できます。
また、赤鉛筆は、赤ペンでも赤ボールペンでもなく、赤鉛筆です。赤ペンは、ノートを書くのが苦手な子どもにとって使いにくく、あっという間にノートが乱れてしまうからです。
消しゴム、定規は言うに及ばず、学習に適したものが必要です。
これらの学習用具についての細かい限定は、一つ一つに、子どもが集中して学習に取り組めるための理由があります。ところが、ここ数年、学習用具の多様化が進み、この限定が崩れてきていて、学校も悩んでいます。
本校ではありませんが、学習用具に関しては、いろいろな保護者の皆様のご意見があるようです。「金属製の筆箱しかない。買えということか?」「なぜ、赤ペンはいけないのか?」「子どもがロケット鉛筆を使いたいと言っている」「この多様性の時代に、ここまで禁止事項が多いのはいかがなものか?」などなど。
それについては、「金属製の筆箱は、落ちた時の音が大きく、中身が飛び散ります」「かざりのついた鉛筆はトラブルのもとです」「…集中が途切れてしまいます…」というように、一つ一つ丁寧な説明が必要だと思っています。
筆箱の乱れは学習の乱れに直結する…という「当たり前」が、もう古いのかもしれないなあ…と思うこともあります。さりとて、ノートをきちんと書くことは、学習の基本でもあります。また、「自分は、赤ペンでもきれいに書ける。赤鉛筆なんていやだ」という個人にとっては、学校のルールは規制でしかありません。いっぽうで、多くの教室では、筆箱にとがった鉛筆が入っていない児童が増え、写真のような「貸し出し用鉛筆」の常備が必要になってきています。
このことは、本校ではなく、多くの小学校の課題となってきています。学校も、規制緩和(=自由=自己責任)すべきなのでしょうか?
土曜日の午前中。学校お助け隊の皆さん、PTA役員の皆さんと職員有志で、昇降口のそうじをしました。日頃のそうじではできないところを、大人の手できれいにしてくださいました。
私も、自分の子どもが小学生だったころ、学校の草取りや奉仕作業に行くことがありましたが、「子どものため」に微力を尽くすことの気持ちよさを感じたことを思い出しました。
よく、ワールドカップなどで、日本人観客が自分たちの観覧席をそうじして帰ることが、海外の賞賛を浴びることがありますが、この日本人のメンタリティーは、こんなところにあるのでは、と思いました。
改めて、お助け隊、PTA役員の皆様、ありがとうございました。
4年生の「面積」の学習で、写真のようなL字の形をした図形の面積を求める方法を、一生懸命考えました。
全部で10種類ほどのやり方が見つかりました。
その中での、写真の5つが多かった方法です。
算数は、答えは1つでも、やり方はたくさんあるのが算数の楽しいところです。自分一人では考えつかない方法を、友だちの図を見て「なるほど~」と思うことも算数の楽しいところです。
こんな算数を、少しでもたくさんつくっていきたいと、先生たちはがんばっています。
5年生が、佐賀県の北山自然の家に宿泊訓練に行きました。子どもたちの笑顔と元気があふれる、素晴らしい宿泊訓練でした。
久留米の街では体験できない、真っ暗な夜に、キャンプファイヤーの火が灯りました。みんなでその火を見つめながら、人権文化祭で歌った「手をつなごう 共にいきる」を歌いました。北山の山々にこだまする、素晴らしい歌声でした。「遠き山に日は落ちて」を歌い、クイズをして、ゲームをして、ダンスをして、ほんとにいい時間でした。
5年生の先生たちに、「子どもたちは、ほんとに成長しましたね。」と話しました。
4年生が、道徳の授業で、「いじめ」について考えました。
まず、「プロレスごっこ」というお話を読みました。
A君は、B君C君からさそわれて、プロレスごっこをしています。A君は、ずっとプロレス技をかけられています。見かねて、Dさんが「やめなよ!」と指摘をすると、B君C君は「みんなで楽しんでるんだよ。」と開き直ります。まわりにいたたくさんの子どもたちは、何も言わずにながめています。
●A君 ・「いやだ」と言えない…
●BC君 ・遊んでいるだけだよ。
●まわり ・自分は悪いことはしていない
・自分には関係ないことだ
・止めたら自分にふりかかる
ある子が、発言しました。
「ぼくがA君だったら、『やめろ!』って言います。」
それに対して、先生は、次のように切り返しました。
「先生はね、子どもの頃、いじめられたことがあります。とても、心が苦しくて、だれも助けてくれないし、仕返しもこわいし。(中略) 先生はね、だれにも相談できなかったよ。」
先生は、自らの体験を語りました。教室は静まり、子どもたちは、先生の話に聞き入りました。そして、子どもたちに問いかけました。
・いじめられている子
・いじめている子
・おもしろがって見ている子
・見て見ぬふりをしている子
この中で、いじめを止めることができるのは、だれでしょう。
保護者の皆様。本を読んでいらっしゃいますか?
子どもの頃の読書をふり返ってみると、ただ目的も なく手当たり次第に本を読み、本の世界にすいこまれるという、とりとめもない読書をしていたなあ。
それとは対照的に、今の 私の読書をふり返ると、何かの目的のために(主に仕事のために)本を 開いていることがほとんどだなあ…。
本を読むということの、本当に大切な部分は、子どもの頃 の読書にあるのかもしれません。読書って、人が言うほど生活のたしになることもなければ、すぐに有益 なことがあるわけではありません。でも、本を読むことの楽しさは、その人を豊かにしてくれるし、強くしてくれます。
先週、5年生の子どもに、「本とパソコン、どっちが自分のためになると思う?」と聞いてみました。いろいろな意見が出たなかで、こんなことを言った子がいました。
「パソコンは、自分が好きなことしか分からないけど、図書室は、360度いろいろなことが分かります。だから、図書室(本)がいいと思います。」
「本は友だち」と言います。いろいろな友だちがいるってことは、人の心を豊かにしてくれるし、強くし てくれますね。
今、図書委員会が、イベントをやってます。
何かのきっかけで、本が友だちになることは、子どもにとってよくあることです。家庭でも、親子で、読書してみてはいかがでしょうか。
6年生の道徳の時間。先生は、子どもたちに問いました。
「今、自分が、がんばっていることを言ってごらん?」
子どもたちは、口々に言いました。
・ピアノ ・サッカー ・勉強 ・外で遊ぶこと ・ゲーム ・習字 ・友だちと仲良くすること などなど。
その後、「山中先生とIPS細胞」という文章を読み、先生は、子どもたちに問いました。
「山中先生が、がんばっていることを言ってごらん。」
・難病の患者さんを、なんとしても助けたい。
子どもたちは、シーンとなりました。先生が教えたいことが分かったようでした。山中先生が、努力し続ける理由は自分のためではない・・・、そのことをズーンと感じることができました。
人権文化祭を行いました。どの学年の発表も、劇やボディーパーカッション、歌などを交えて、見る人の心に響く発表にしようと、工夫しました。6年生は、午後から明星中学校での「人権のつどい」に参加しました。
各学年がどんな発表だったか、子どものセリフで紹介します。
○1年生
「みんなといっしょだから、勉強もがんばれる。みんながいるから、困ったときも助け合える。これからも友だちを大切にします。」
○2年生
「・聞いた話をそのまま信じないことが大切だということ・友だちの話を聞こうとすることが大切だということ・本当かどうかを確かめて行動することが大切ということ」
○3年生
「ちいちゃんは、命が消えてしまいましたが、空の上じゃないところで家族と会いたかったと思います。」
○4年生
「私たちにできることは気づく・寄り添う・考える・行動する。」
○5年生
「正しく知ること・わかり合おうと努力すること・自分たちでつくりあげること」
○6年生
「戦争は、人の心の中に生まれるものだから、人の心の中に、平和のとりでを築いていかなければならない。
1年生の、たし算のくり上がり。
8+3=11
私たちは、パッと頭の中でやってしまいます。
ところが、1年生は、そうはいきません。
1年生の教室では、ブロックを使い、さくらんぼ図を使い、ていねいにていねいに、ゆっくり教えています。
子どもたちは、先生を見ながら、先生のいっしょに「10のまとまりをつくるために、3を2と1にわける」と唱えながら、くりあがりの仕組みを理解していきます。
私も、50年前、こうやってたし算ができるようになったんだなあ。
4年生の総合の学習で、車いす体験をしました。
子どもの学習後の感想です。
歩くよりずいぶん行動がさえぎられる感じがありました。あんなに広い多目的トイレにも一苦労でした。坂もいちいち方向を変えなきゃいけないし、色々不便でした。短い時間だったら腕はつかれないけれども、すごい坂道だったりすると、腕がつかれると思います。バス乗ってるときに車椅子の方が乗車にされて、乗るときに運転手さんがスロープを開いて押してまたスロープを閉じるという、同じく降りるとき同じことをしているのを見ました。ああいうことを見て、しっかり勉強しなければならないなと思いました。
たった3cmの段差でも、うまく進めない。相手の立場に立ってみると、分からないことが分かる、という体験。子どもたちもしっかり考えていたようです。
「うざい」「きもい」「むかつく」…。イライラしたときに、つい出てしまう人を傷つける言葉。本校もゼロではありません…。8m×8mの教室は、35人の子どもたちが半日過ごす場所です。どうしても、友だちとぶつかったり、すれちがったりします。そのとき、冒頭の言葉(マイナス言葉)が発せられると、その言葉は相手の心の鏡に反射して、自分に返ってきます。心は鏡です。マイナス言葉は増幅されて、心もいつの間にか、マイナスに引っ張られます。
逆もしかり。「だいじょうぶ」「いいね」「ありがとう」「ごめんね」というプラス言葉が発せられると、その言葉は相手の心の鏡に反射して、自分に返ってきます。心は鏡です。プラス言葉は増幅され、心もいつの間にか穏やかになります。
このように、言葉には心を変える働きがあるし、心は言葉を増幅し合う働きがあります。
そこで、学校では、「あいさつ運動」をすることにしました。「おはよう。〇〇さん。」という声が、ずいぶん増えてきました。全校朝会では、担当の先生が、同じ「おはよう」でも、笑顔であいさつした方が、相手は元気になるね、という話をしました。朝一番の「おはよう」が、子どもたちの心の鏡に反射し合って、自分の言葉が相手を元気にする、友だちの言葉で自分が元気になる、そういった体験ができれば、と思っています。
5年生の国語の学習です。
「歩く」-「歩行」 「調べる」-「調査」
といった具合に、和語(やまと言葉)と漢語(漢字熟語)の語感のちがいを、カードゲームをしながら学んでいます。
日本語って難しいですね。やわらかい感じは和語、フォーマルな感じは漢語で表現します。
本校の自慢、芝生の運動場。
校務員さんは、定期的に芝の手入れや草刈りをしてくださってます。運動場一面ですから、かなりの作業量です。何事も、維持することは大変ですが、子どもたちのためと思えばがんばることができます。
きれ~いに刈りあがった運動場。土曜日の校区運動会はきっと楽しくなるでしょう!
5年生の算数の学習は、分数のたし算です。
「1/3 + 1/2 = 2/5」は、なぜ間違っているか?
この図を黒板に貼り、子どもたちに問うたところ、「分かった!」「分かった!」とたくさんの子どもたちが挙手しました。
「分かる」とは「説明できる」ということです。「分かったけど、説明はできない…。」は「分かった」とは言いません。
この図は、子どもたちの説明を助ける図でもあり、子どもたちの「分かった」を引き出す図でもあるようです。
写真は、6年生の国語、「やまなし」(宮沢賢治)の学習です。保護者の皆様も、6年生の時に学習されたと思います。
この物語は、「小さな谷川の底を写した二枚の幻灯」をもとに語られるお話です。物語は、水底にいるカニの視線で全てが語られています。魚をとろうと突然頭からつっこんでくるかわせみが、水底から水面を見上げる角度で描かれています。川面を流れる樺の花が、水底の目から見上げられる視線で書かれています。これが、「やまなし」を読む面白さのひとつです。この物語に充満している美しい比喩、「日光の黄金」「ラムネびんの月光」なども、「見上げる目」だから見える独特の風景です。
「石こ賢さん」と言われた宮沢賢治は、沢ガニの大きさになって世界を見ているのです。ドラえもんのスモールライトで小さく小さくなって、すると世界がどのように見えるかを想像してみましょう。顕微鏡を使い砂糖の粒を見ると、それは宝石のように美しいのですが、このミクロの目でしか味わえない美しさ。これが作品「やまなし」の特徴です。この作品には、石がたくさん出てきます。「水晶の粒」「金雲母のかけら」「金剛石の粉」これらは、実際は人間の目には見えない、川底を歩くカニのミクロの目でみると、月光は虹に見えたり、日光は光の網に見えたり、それはもう美しい。そんな、美しさを宮沢賢治は、一生懸命カニの目になって表現しようとしています。
…ということを感じながら読んでほしい…でも、そのことを長々と説明すると、理屈っぽくなって「宮沢賢治の世界を味わってほしい」という先生の願いが損なわれてしまう…。だから、先生は、やまなしの情景を絵にして伝えることにしたのだと思います。
きっと、この1時間の授業の準備に、先生はかなりの準備をしたはずです。
もし、学校に不審者が入ってきたら・・・。
警察の方が不審者役となってくださり、迫真の演技で校内に入ってこられました。一人の職員では対応できないこと、「助けを呼ぶ」ことが何より大切なことが改めて分かりました。そのあと、警察の方から、子どもたちに「い・か・の・お・す・し」についてのお話があり、命を守る学習をすることができました。
2年生の学習で、自分たちがつくったおもちゃやゲームを1年生を招待して楽しむ活動を行いました。
相手が1年生ですから、2年生は「1年生のために」説明の仕方やルールなどを工夫します。同級生なら考えなくてよいことも、下級生となら考えることになります。相手のことを考える体験となりました。
9月に入っても暑い日が続きます。私の朝一番の仕事は、教室のクーラーを入れることです。なぜなら、朝の教室は、すでに35℃になっているからです。電気代の関係で、いっぺんに電源を入れることができないので、全教室にクーラーを入れるのに、30分くらいかかります。
また、休み時間になると「今日は暑くて外で遊べません」の放送・・・。
先週の水曜日は、ゲリラ豪雨に見舞われ、下校時刻を1時間遅らせるなど、保護者の皆様には大変ご心配をおかけしました。
しかし、このような暑さの中でも、理科の学習では、アサガオの花粉や花から実へと変化する様子の観察をしています。3年生が育てているヒマワリは、いつのまにかびっしり種をつけています。蝉の声も聞こえなくなりました。
生き物は秋の気配を感じているようです。
上の写真は、5年生の家庭科。ミシンの学習。子どもたちは、ミシンの使い方の動画を見ています。私が担任だったころは、ミシンの学習は大変でした。「上糸はどうするんですか?」「ボビンの向きは?」「はずみ車って?」と、ヘルプの嵐・・・。
でも、今は、自分のPCを見ながら、ミシンの使い方を勉強しています。子どもたちは、動画の必要な部分を見ています。PCの威力を感じました。
下の写真は、それを算数に応用しています。「4年生のわり算の筆算」の学習。先生があらかじめ、筆算のやり方の説明動画を作っていて、子どもたちは、一人一人、自分のペースで見ています。1回見て練習問題をする子もいれば、3回見て練習問題をする子もいて、自分のペースで学習ができていました。
PCという道具を、必要に応じて使っていくこと。
PC向きの学習とPCに向かない学習の仕分け。
勉強しなければと思いました。
4年生のわり算で、子どもたちが苦労しています。
・210 ÷ 49
え~っと、え~っと、一生懸命がんばってます。
この問題を、だいたい200÷50と見積もることができると、子どもたちはずいぶん楽になりますよ。
だいたいいくら? だいたい何個?
日常生活の中で、問いかけてみてください。
6年生の算数の時間です。
写真の左下のように、「葉っぱのような形」の面積を求める学習です。先生は、考え方を黒板に図で貼りました。
この図をもとにして、式と説明をつくります。
式
① 10×10×3.14=314
② 314÷4=78.5
③ 10×10÷2=50
④ 78.5-50=28.5
⑤ 28.5×2=57
答え
57㎠
一つ一つの式は、そう難しくありません。しかし、それが積み重なると、説明がぐっと難しくなります。学校では、「友だちに説明する」という活動の中で、筋道を立てて考える力を育てたいと考えています。
29日と30日が台風で休校となりました。そこで、ピーンときて、プールに行きました。
① 4年生の理科「雨水のゆくえ」
上の写真は、29日の朝の写真です。7月末には満水だったプールの水が、50cmほど減っています。こんな光景は、教師生活30年で初めてです。プールの水は、いったいどこにいったのでしょうか?
答えは、「空気中に出ていった」です。4年生の9月の理科「雨水のゆくえ」で学習する内容です。それにしても、今年の夏が、いかに猛暑で雨が少なかったかを表しています。
② 降水量
「降水量」という言葉は、高学年の社会科でよく出てきます。「沖縄県の年間降水量は…」「6月の降水量は…」という感じです。
今回の台風は「雨台風」で、ニュースでも「降水量」という言葉が何度も出てきました。それが実感できる写真です。下の写真は30日の夕方です。この2日間で、15cmほど水位が増えています。降水量は何ミリと言えばいいでしょうね。これは、算数。
こうやって、身近なところで考えることは、とても大切です。
20年ほど前のこと。私が市内のある学校で、4年生の担任をしたときのこと。校区内の田んぼの水がいったいどこから来ているのか、子どもたちと調べたことがありました。用水路には、水が滔々と流れていたのですが、校区の中に水源らしき場所がなかったからです。
用水路をたどっていくと水路は国道3号線に突き当たりました。そして、用水路は道路の地下を通り向こう側に続いていました。さらにそれをたどっていくと、なんと最後は浦山公園の池に行きつきました。子どもたちは、浦山公園の池が農業用水だったことを知り、身近な用水路が浦山公園と田んぼつなぐ大切な水路だったことに驚きました。
さて、上の写真は、東国分小校区内の用水路です。高良山水系から数km先の複数の田んぼまで水を運ぶ水路です。ところが、写真のように、水を流さなくてはならない時期に水が流れていないことがあり、農家の方がとてもとても困っています。その原因は、子どもたちの遊びです。
下の写真は、上の写真の200m手前の水路の分岐点です。右(青)が農業用水路で、左(赤)は雨水等の排水路です。農家の方は、田んぼに水が必要な時期は、左側をせき止めて、右側の用水路に水が流れるようにします。ですから、この堰を遊びで動かせば、農家の方は大変困ることになるのです。
このような事情は知らない子どもたちは、水の流れを変えて遊んでいるようです。大人も、言われなければ分からない事情ですね。
子どもたちには、この写真を見せながら教えたいと思います。と同時に、私たちが生きていくために欠かせない「米」をつくるための工夫と苦労についても教えたいと思います。近所の水路は、もしかすると農業用水路かもしれませんね。子どもたちに、水路で遊ばないよう、そして水路の堰をさわらないよう、農家の方の工夫と苦労といっしょに、ご家庭でもお話くださいますよう、お願いいたします。
夏休みが終わりました。家庭科室には、子どもたちの作品や自由研究、作文や標語が続々と集まってきています。
学校の勉強は、内容も進度も「自由」というわけにはいきません。学校では、「わたしは、もっと理科をたくさん勉強したい」と思っても、そうはいきません。でも、夏休みは、自分がやりたいことを選ぶことができますね。
週末は、久留米市美術館で理科作品展があります。また、7日、8日の校区文化祭にも出品します。子どもたちの力作を、どうぞご覧ください。
※写真は、6年生の線対称・点対象を糸で作った作品です。
久しぶりに、教室に子どもたちの元気な声が響いています。教室の黒板には、担任の先生のメッセージ。先生たちは、みんなを待っていましたよ。
夏休みの間に、教室の床は、きれ~いにワックスがけをしたので、机は、全て廊下に出していました。朝の校舎を回っていると、来た子から、廊下の机を教室に運んでいます。「いいなあ」と思ったのは、自分の机だけではなく、まだ来ていない友だちの机を運んでいる子、一人では持てない先生の机を協力して運んでいる子、2学期の新しいドリルや教材を運んでいる子がたくさんいたことです。
始業式も、先生のお話をしっかり聞くことができていて、2学期の成長が本当に楽しみになりました。
楽しいことが始まる予感がします!